先日、母から定年退職をしたという連絡が来た。
40年以上の社会人生活に一つの終止符を打ったようだ。
普段は、自分の生存確認の連絡がほとんどなだけに、母親の近況報告を受けるのは珍しかった。
それくらい母親にとっては、一大イベントだったのだろう。
まあ、納得だ。
今回は、その連絡を聞いて感じたことが、いかにも海外在住故の感情だろうなと思い、そのことを共有したいと思う。
両親との連絡の頻度
そもそも、これを読んでいるあなたは、両親とどれくらい連絡を取るだろうか。
自分の場合、自分から連絡することはほとんどなく、たまにくる生存確認に返事をする程度だ。
正直連絡の頻度は、海外に住み始めたからといって、そんなに変わらなかった。
心配されているのはわかるし、もっと頻繁に連絡するのが正解なのだろうが、そこまでできないのは、全母親-息子関係のあるあるだろう。
連絡の頻度と家族愛は比例しない
では、海外に来て家族愛がなくなったのかと言われるとそうではない。
親元を離れ、初めて一人暮らしをすると、親のありがたみ・すごさがわかるとよくいうが、海外生活をすると、親のありがたみというより、家族の大切さを実感する。
もっというと、帰る場所があるということが、いかに尊く、恵まれたものだということを感じる。
おそらく、海外での一人で戦わなければいけない感や困ったときに近くに頼れる人がいない感がそう感じさせるのだろう。
ある日、オーストラリアで緊急連絡先を書く機会があった。
その時「あ、書ける人いないわ。」と思ったのを今でも記憶している。
オーストラリアで何かあっても、助けてくれる人はいない。
そう感じた瞬間だった。
だから、そういった経験がある分、連絡の頻度こそ変わらないが、家族愛はこちら側からの一方通行で、かなり深まったように思う。
会いたい時にすぐ会えないからこそ
先日、ある動画でお母さんあるあるを話していた。
その中で、夜に「お母さん、もう寝るね」という報告を必ずしてくるというあるある話で思わず、吹いた。
確かにうちの親もそうだった。
寝る前、テレビを見ていると必ず「お母さん、もう寝るね」報告があった気がする。
動画を見た時は「なんでそんな報告を親はしてくるの?」というところに面白みを感じていた。
ただ、冷静に考えると、あの報告は「お母さん、もう寝るね(今から何か言われても、もう知らないからね)」という”母親の役割を一旦終えるよ”という報告だったのだと思う。
職場でタイムカードを切るように、あの言葉で、母親としての1日の家事を終えていたのだろう。
職場では、社会人。
家では、母親。
大した人間だ。
そのことを会って伝えられないのが、海外在住。
うーん。
電話はなんか違う。
そしておそらく次会う頃には、久しぶりという感情が強すぎて、今のこの尊敬の気持ちは忘れてしまうだろう。
もったいない。
そう思い、ここに今、書き留めた。
家族関係。
いろいろあるだろう。
恋人や友達候補はいくらでもいるが、父親母親はそうはいかない。
ツバメのタトゥーを入れる人の気持ちがちょっとわかった。
そんな今日この頃。
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